教育制度
明治初期に学制が定められ、近代的な教育体系が創出されていったが、そこでは欧米の文物(特に科学技術など)を学ぶことが最優先とされた。日本の伝統的な教養の中心であった漢学は軽視され、欧米の教養であるギリシャ・ローマの古典に対してもそれほど関心は寄せられなかった。
教養の初出
日本で題名に「教養」と冠した書籍を探してみると、『国民の教養』(加藤咄堂、1901年)が古い例で『女子教育家庭教養法』(秋山七朗ほか、1902年)、『嬰児教養』(子女教養全書、下田歌子、1902年)、『人格と教養』(青年修養叢書、大原里靖、1907年)などの例がある。20世紀始め頃に、子供を教え養う教育法という意味と、人格に結び付いた教養という意味と、両者の用法で使われていたことがうかがわれる。
旧制高校の教養
明治末〜昭和戦前期の旧制高校では、高校生として読むべき本というものがあった。大正頃、西洋哲学(特にドイツ観念論)が流行し、カントの『純粋理性批判』や西田幾多郎の『善の研究』などの哲学書は当時の必読書であった。こうした難解な哲学書を時には原書で読み、学生同士で夜を徹して議論をすることもあった。全国からエリートが集まる旧制高校において、お互いに見栄を張る要素もあったが、共通の会話を成立させるものでもあった。
大正教養主義
夏目漱石は日本・西欧の古典、文芸に通じ、俳句や書画もたしなむ教養人であった。漱石の周囲で育った阿部次郎、寺田寅彦らは個人の人格を重んじる立場で、大正教養主義と呼ばれた。また、1938年、「現代人の現代的教養」を目的とした岩波新書が刊行されたが、岩波書店創業者の岩波茂雄も漱石門下であった。
教養課程
第二次世界大戦後、旧制高校が廃止され、代わりに大学の教養課程(教養部)ができた。かつての旧制高校は一種、人格の修練場であったが、大学の教養課程の科目は俗にパンキョウと呼ばれ、専門課程を迎える前に、消極的に履修する必修科目群という扱いを受けることが多くなった。
現代教養全集
1958-1960年に刊行された叢書『現代教養全集』(筑摩書房)から、当時の教養観がうかがえる。全集の内容は、戦後の社会、戦争の記録、マスコミ、日本人論、友情・恋愛・結婚、文学、日本の近代、日本の文化、経済、教育、宇宙時代、等等 諸般の事物に及ぶ(ちなみに60年安保闘争の記録が別巻になっている。
ここでは日本・欧米の古典に通じるとともに、現代の政治・経済・社会に及ぶ諸問題に一家言を持つような人(例:丸山真男、林達夫、桑原武夫?)が「教養人」と考えられていたようである。